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  • 世界的アーティストの1人として知られる草間彌生。絵画や彫刻、インスタレーション、パフォーマンスアート、詩や文学……様々な分野で輝かしい功績を残し、現在もなお創作活動に全てを捧げて生きている。そんな草間彌生の作品に心を奪われたヘザー・レンズ監督。1950年代から70年代初頭にニューヨークで創作活動をしていた草間のアート界に及ぼした影響が見落とされていることに気づき、「草間彌生の複雑なストーリー(人生)と芸術(才能)を分かち合ってもらいたいと思った」と、ドキュメンタリー『草間彌生∞INFINITY』を制作。この映画は、草間彌生がどのようにして芸術の道へ進み唯一無二の表現者になったのか──芸術への情熱を理解されなかった幼少期、単身アメリカへ渡った挑戦、苦悩と困難の連続だったニューヨークでの創作活動、作品が認められるまでの道のり、大切な人達との出会いと別れ、強迫神経症という病……波瀾万丈のひと言では足りないほどの超絶人生を送ってきたアーティストの人生に迫る。草間彌生本人のインタビューに加え、70年に渡る創作活動の記録、草間彌生の才能を語る芸術関係者の声によって構成される衝撃の77分! 知られざる草間彌生の人生に心をつかまれる!
  • 草間彌生と言えば水玉のアート。無数に描かれる“水玉”のカラフルな世界はあまりにも有名だが、アーティストとしての道のりは決して順風満帆ではなかった。尊敬する女性アーティストの助言を受け、1957年に単身渡米。翌年活動の拠点をニューヨークに移すものの当時は女性芸術家が単独で個展を開くのは不可能な時代。男性芸術家と同じように画商の協力を得ることは難しかった。それでも「アメリカの美術界を塗り替えてやる!」という情熱を原動力にして、絵を見てもらうため、自分を認めてもらうため、死に物狂いで絵を描き、不公平な社会と戦い、自分で自分を売り込むパフォーマンスを仕掛けていく。そんな草間彌生の創り出すものがどれだけ斬新だったのかが分かるエピソードも描かれる。それは彼女の作品に刺激を受けたアーティストたちが作品を真似て名声を得ていたという事実。そのなかにはアンディ・ウォーホルもいた。また、強迫神経症、うつ病と診断されても、どんなに苦しくても、自分らしく創作を続けたその粘り強さと頑固さからは勇気を受け取るだろう。「私の作品は、私の心の悩みを美術で還元している」と草間彌生が語っているように、どう生きるか、どう生きたいのか、彼女の作品には生きるヒントが無数に散りばめられている。
世界的アーティストの1人として知られる草間彌生。絵画や彫刻、インスタレーション、パフォーマンスアート、詩や文学……様々な分野で輝かしい功績を残し、現在もなお創作活動に全てを捧げて生きている。そんな草間彌生の作品に心を奪われたヘザー・レンズ監督。1950年代から70年代初頭にニューヨークで創作活動をしていた草間のアート界に及ぼした影響が見落とされていることに気づき、「草間彌生の複雑なストーリー(人生)と芸術(才能)を分かち合ってもらいたいと思った」と、ドキュメンタリー『草間彌生∞INFINITY』を制作。この映画は、草間彌生がどのようにして芸術の道へ進み唯一無二の表現者になったのか──芸術への情熱を理解されなかった幼少期、単身アメリカへ渡った挑戦、苦悩と困難の連続だったニューヨークでの創作活動、作品が認められるまでの道のり、大切な人達との出会いと別れ、強迫神経症という病……波瀾万丈のひと言では足りないほどの超絶人生を送ってきたアーティストの人生に迫る。草間彌生本人のインタビューに加え、70年に渡る創作活動の記録、草間彌生の才能を語る芸術関係者の声によって構成される衝撃の77分! 知られざる草間彌生の人生に心をつかまれる!
草間彌生と言えば水玉のアート。無数に描かれる“水玉”のカラフルな世界はあまりにも有名だが、アーティストとしての道のりは決して順風満帆ではなかった。尊敬する女性アーティストの助言を受け、1957年に単身渡米。翌年活動の拠点をニューヨークに移すものの当時は女性芸術家が単独で個展を開くのは不可能な時代。男性芸術家と同じように画商の協力を得ることは難しかった。それでも「アメリカの美術界を塗り替えてやる!」という情熱を原動力にして、絵を見てもらうため、自分を認めてもらうため、死に物狂いで絵を描き、不公平な社会と戦い、自分で自分を売り込むパフォーマンスを仕掛けていく。そんな草間彌生の創り出すものがどれだけ斬新だったのかが分かるエピソードも描かれる。それは彼女の作品に刺激を受けたアーティストたちが作品を真似て名声を得ていたという事実。そのなかにはアンディ・ウォーホルもいた。また、強迫神経症、うつ病と診断されても、どんなに苦しくても、自分らしく創作を続けたその粘り強さと頑固さからは勇気を受け取るだろう。「私の作品は、私の心の悩みを美術で還元している」と草間彌生が語っているように、どう生きるか、どう生きたいのか、彼女の作品には生きるヒントが無数に散りばめられている。
SONG OF A MANHATTAN SUICIDE ADDICT, 2010-present. Image © Yayoi Kusama. Courtesy David Zwirner, New York; Ota Fine Arts, Tokyo/Singapore/Shanghai; Victoria Miro, London/Venice; YAYOI KUSAMA Inc.
数十年の間、草間彌生は20世紀を代表するアートムーブメントを牽引し、超越してきた。 水玉やネット・ペインティングなどの芸術作品、パフォーマンス・アート、 部屋の壁や床を使った表現方法、野外彫刻、文学、映画、ファッション、 デザインなど様々な分野で探求し、影響力のある作品を残している。 過去数年だけ見ても、ポンピドゥ・センター、テート・モダン、ホイットニー美術館、 国立新美術館、ハーシュホーン博物館と彫刻の庭など、世界中の名だたる美術館で展示を行っている。
1929年
3月22日長野県松本市に生まれる。
1939年
10歳の頃より水玉と網模様をモチーフに絵を描き始め、水彩、パステル、油彩などを使った幻想的な絵画を制作。
1957年
渡米し、すぐにシアトルで個展が開かれた。翌年よりニューヨークに引っ越し、1959年にはニューヨークでの初個展をブラタ画廊で行なった。この頃より巨大な絵画、ソフト・スカルプチャー、鏡や電飾を用いた環境彫刻など、革新的なアート作品の制作を始める。
1960年代
後半
ボディ・ペインティングや反戦運動など多数のハプニングを行う。
1966年の*第33回ヴェネツィア・ビエンナーレで、屋外にプラスチックのミラーボール1500個を芝生に敷き詰めた作品『ナルシスの庭』を展示。1個1200リラで販売しようとしたが、ビエンナーレ当局に禁止される。
*1895年からイタリアのヴェネツィアで開催されている現代美術の国際美術展覧会
1968年
監督・脚本・主演を務めた映画『草間の自己消滅』は第4回ベルギー国際短編映画祭に入賞、 アン・アーバー映画祭で銀賞、第2回メリーランド映画祭にて受賞を果たした。
1973年
日本に帰国。美術作品の創作発表を続けながら、小説、詩集も多数発表。
1983年
小説『クリストファー男娼窟』で第10回野性時代新人文学賞を受賞。
1986年
フランスのカレー市美術館、ドール市立美術館にて個展「草間彌生」を開催。
1989年
アメリカで初となる回顧展「草間彌生」が国際現代美術センター(CICA、ニューヨーク)で開催。
1993年
第45回ヴェネツィア・ビエンナーレで日本館初の個展を開催。
1994年
初めての野外彫刻《南瓜》(直島、香川県)を制作。以後世界中で多くの野外彫刻を制作する。
1996年
国際美術評論家連盟アメリカ支部より、ニューヨークのポーラ・クーパー画廊での個展とロバート・ミラー画廊の個展がそれぞれベストギャラリー賞1995/96と1996/97を受賞。
1998年
個展「ラブ・フォーエバー:草間彌生 1958-1968」がロサンゼルス・カウンティ美術館を皮切りにニューヨーク近代美術館、ウォーカーアートセンター(ミネアポリス)、東京都現代美術館を巡回。
2000年
第50回芸術選奨文部大臣賞、外務大臣表彰を受賞。同年、フランスのル・コンソルシウムで始まった個展「草間彌生」は、パリ日本文化会館、ブランツ・クレーデファブリク美術館(デンマーク)、レ・ザバトワール(フランス)、クンストハレ(オーストリア)、アートソンジュ・センター(韓国)を巡回。
2001年
朝日賞受賞
2002年
松本市美術館開館記念個展、紺綬褒章を受賞。
2003年
フランス芸術文化勲章オフィシェ受勲、長野県知事表彰(芸術文化功労)を受賞。
2004年
森美術館(東京)、札幌芸術の森美術館で個展「クサマトリックス」を開催。
2006年
ライフタイムアチーブメント賞(芸術部門)、旭日小緩章受章、第18回高松宮殿下記念世界文化賞(絵画部門)を受賞。
2008年
ボイマンス・ファン・ベーニンゲン博物館(オランダ)にて回顧展「草間彌生 ミラード イヤーズ」の巡回が始まる。松本市名誉市民に推挙される。
2009年
文化功労者に選出。
2011年
回顧展『草間彌生』が国立ソフィア王妃芸術センター(マドリッド)ではじまり、ポンピドゥー・センター(パリ)、テート・モダン(ロンドン)、ホイットニー美術館(ニューヨーク)を巡回。
2012年
国立国際美術館(大阪)を歯切りに個展『草間彌生 永遠の永遠の永遠』が、国内10館を巡回。新宿区栄誉区民に選ばれる。ルイ・ヴィトンとのコラボレーションを発表。
2013年
個展「草間彌生 インフィニット・オブセッション」がラテンアメリカ芸術博物館(ブエノスアイレス)ではじまり、中南米6館を巡回。
個展「草間彌生 わたしがみた夢」が大邱美術館(韓国)ではじまり、アジア5館を巡回。
2017年
個展「草間彌生 わが永遠の魂」が国立新美術館(東京)で開催。
個展「草間彌生 無限の鏡」がハーシュホーン博物館と彫刻の庭(ワシントンD.C.)ではじまり、北米5館を巡回。
個展「草間彌生 人生は虹のこころ」がシンガポール国立美術館ではじまり、ブリスベン、ジャカルタを巡回。
草間彌生美術館開館。東京都名誉都民に選出。
2018年
松本市美術館にて個展「草間彌生 ALL ABOUT MY LOVE」が開催。
2019年
Fosun Foundation(上海)にて、個展「草間彌生 愛のすべては永遠に語っている」が開催。
Portrait of Yayoi Kusama in her studio. Image © Yayoi Kusama. Courtesy of David Zwirner, New York; Ota Fine Arts, Tokyo/Singapore/Shanghai; Victoria Miro, London; YAYOI KUSAMA Inc.
脚本家、映画監督、プロデューサーとして活動し、主に類稀な人生を歩む人々に焦点を当てたドキュメンタリー映画や自伝映画を手がける。ケント州立大学 美術学部を卒業し、南カリフォルニア大学 映画学部で美術学の修士を取得。自転車発明家に焦点を当てた短編ドキュメンタリー映画『Back to Back』(01・日本未公開)は学生アカデミー賞にノミネートされ、世界中の映画祭で上映された。美術学生時代に草間の作品にはじめて触れ、一目見た瞬間から魅了される。彼女について探求していく中で、15年にわたる草間のニューヨークでの創作活動が、アメリカのアート界に及ぼした影響が見落とされていることに気がつく。本作の企画を始めてから約10年。レンズ自身も、草間彌生が世界で最も売れた女性アーティストになるとは思ってもいなかった。
Kusama - Infinity director Heather Lenz. Courtesy of Magnolia Pictures.
女性脚本家や女性監督が手がける作品や、女性キャラクターに焦点を当てた作品を中心に製作を行う。ハリウッドのスタント女優に焦点を当てたドキュメンタリー『Double Dare』(04・日本未公開/アマンダ・ミケーリ監督)では世界中で数々の賞を受賞した。『草間彌生∞INFINITY』の製作には14年という月日をかけ、18年、ついにサンダンス映画祭でプレミア上映される。最近では、映画の録音技術の歴史や芸術性に焦点を当てた長編ドキュメンタリー『Making Waves: The Art of Cinematic Sound』(19・日本公開未定/ミッジ・コスティン監督)を製作し、19年のカンヌ国際映画祭、トライベッカ映画祭にて上映された。
映画プロデューサー、脚本家、音楽家として活動しながら、映画制作・配給会社サブマリンの代表を務める。主なプロデュース作品は『ペギー・グッゲンハイム アートに恋した大富豪』(18)、『I Called Him Morgan 私が殺したリー・モーガン』(17)、Netflix製作のドキュメンタリー『ワイルド・ワイルド・カントリー』(18)、同じくNetflix製作のドラマシリーズ「邪悪な天才:ピザ配達人爆死事件の真相」(18)など。これまで携わってきたドキュメンタリー作品のうち、『シュガーマン 奇跡に愛された男』(13)、『ザ・コーヴ』(10)、『バックコーラスの歌姫たち』(13)など5作品がアカデミー賞®を受賞、『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』(15)など20作品以上が同賞にノミネートされている。コミックライター、編集者としても活動しており、ダークホースコミックスから「Creepy and Eerie」というホラーコミックを出版し、アイズナー賞を受賞している。
大阪に生まれたのち、シンガポールに移住。サンディエゴ州立大学で放送学や映画制作を学び、在学中に編集として参加した短編映画『Last Swing Dance』が、現ルーカスフィルム社長のキャスリーン・ケネディの目に留まり、全米監督協会で上映される。これを機に本格的に編集者としての道に進む。キャリアをスタートさせるとすぐにギャスパー・ノエ監督作『エンター・ザ・ヴォイド』(10)やイザベル・コイシェ監督作『ナイト・トーキョー・デイ』(10)にアシスタントとして携わり、両作品とも09年のカンヌ国際映画祭コンペティション部門に選出された。最新作はNetflixの「アルティメット・ビーストマスター」など。
東京で生まれ、ティファナとドュッセルドルフを中心に活動するドキュメンタリー映画作家。芸術家としても活動し、インスタレーション、彫刻、パフォーマンス・アート、音楽やパブリックアートなどを中心に、亡命者記憶を主なテーマとしている。プロデュース、監督作に『El Mexico mas Cercano a Japon』(08・日本未公開)、『ヒロシマ・ナガサキ ダウンロード』(11)、『Ghost Magnet Roach Motel』(16・日本未公開)がある。サンディエゴを拠点に難民の若者の写真や創作を支援する、AJAプロジェクトの共同創設者、芸術アドバイザーとしても活動するほか、パンクパフォーマンス集団の監修なども手がける。
社会派・音楽ドキュメンタリー監督、カメラマンとして多方面で活動。77年にアカデミー賞®で長編ドキュメンタリー映画賞を受賞したバーバラ・コップル監督の『Harlan County U.S.A.』、同監督作品で同じくアカデミー賞®長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した『American Dream』(90)の撮影に参加。その他の作品に、ハイチの元大統領ジャン=ベルトラン・アリスティドを追ったドキュメンタリー『Haiti: Killing the Dream』(96)などがある。今作ではインタビューシーンの撮影を担当した。美術商だったペリーの母親は、ニューヨークでの草間彌生のアート・ディーラーを初めて務めた人物だったため、ペリー自身も幼い頃から草間の作品を知っていたという。
シドニー音楽院を卒業後、03年にカンヌ国際映画祭で上映された映画『Watermark』で音楽を担当。その後、南カリフォルニア大学で映画作曲を学ぶ。映画作曲家として、オーストラリア芸術評議会や全豪作曲家組合から表彰された実績を持つ。主な作品に『Limited Partnership』(14)、17年のNew Festで観客賞を受賞した長編『Hot to Trot』(18)がある。映画だけでなく、エミー賞を3度受賞した「チルドレンズホスピタル」などTVシリーズの作曲も手掛けている。
“彼女の80年代中頃の彫刻作品を見る機会がありました。
私はそれに強い衝撃を受けたんです。
そしてNYで彼女の作品を展示すると心に決めました。”
“私のワシントンの画廊にアポなしで若い男性と現れて、
何枚もの絵を見せられました。衝撃を受けましたよ。
魔法か睡眠術にでもかかったみたいにずっと見ていたくなるんです。”
“抽象表現の全盛期でも彼女の作品は独特でしたよ”
“ある画廊で彌生の作品が目に留まりました。
黄色が美しい作品で、黄色と黒色の色使いからNYを感じました。
タクシーとアスファルトですよ。”
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